今回は、以前55話目「心話」の中でお話しした内容のうち、自問式心話を深掘りしてお話しします。

以前、既に述べたように、心話には対話式心話と自問式心話とをあてました。

その自問式心話について。

最近、メンタリストDaiGoさんの著作『悩む力』を拝読した上での所感を述べさせていただきます。ここでは大まかな部分をかいつまんでお伝えしますので、興味のある方は購読されるとよろしいかと思います。私からもオススメの一冊です。

その著作の中で、筆者(DaiGoさん)は、ソクラテス式問答法なるものを取りあげ、心の中で質問を投げかけもらい、それに自ら答えることで、解決、または高みへと導いてもらう、と述べています。

筆者はその対象を小ソクラテスと読んでおり、私が心友と充てている存在とほぼ同義です。どちらにしても、質問を投げかけてもらう存在は、高齢の人物を想定することで導いてもらう感も深まると感じます。

さて、その問答の進め方ですが、筆者は、
1.問題・課題・テーマの設定
2.それを取り挙げる理由・目的は?
3.対策・改善策は?またその根拠は?
4.実行するには?
とし、それぞれ「何か?どういうことか?」と問答していく、と述べています。

ここで大事なのは、why?(なぜ?)ではなく、「what?(何か?)」で進めることです。why?で進めると最初の課題への原因は…、その原因は…と堂々巡りになり、ネガティブな方向へと進んでしまいます。一方、what?で進めると、段階を踏んで次へと進んでいく効果がある、と述べています。(筆者の例:職場で上司とウマが合わない→…→…。)。

また、少し応用として、テーゼがあり、テーゼ(正)とアンチテーゼ(反)とジンテーゼ(合)を挙げ、解決を図る手段もある、と述べています。(筆者の例:花は美しい(テーゼ)、花は枯れる(アンチテーゼ)、花は枯れるが、その度に新しい実をつけ美しい花を咲かせる(ジンテーゼ))



さらに、問題を提起した際、そもそもの前提としの世間の常識自体を疑うことも大事だと述べています。(筆者の例:テレビに出ないと稼げない?)。

筆者によれば、これらは「クリティカル・シンキング(批判的思考法)」と呼ばれる、とのこと。

この風の人の読者であればお気付きかと思いますが、実はこれは、仏教の般若心経の一節、「苦集滅道」と同じなんですね。仏教では服薬に例えて、
「苦」:病気が起こる((問題の)提起)
「集」:診察を受ける((治療という)目的)
「滅」:薬をもらう(改善策)
「道」:薬を飲む(実行)
と例えられます。

例えば、釈尊は、幼子を亡くして途方に暮れる母に、今まで死人を出していない家庭を探し出し、その家庭から豆をいただき、それを煎じて飲めば子は復活する、と説きました。しかし、母が探せども、死人を出していない家庭などなく、人はいずれ死にゆくもの、と悟りました。

子を亡くした(苦)、子を生き返らせたい(集)、しかし、亡き人は復活しないと説いた(滅)、母はそのことを悟った(道)。

少し逸れましたが、自問式心話は、生きる上での様々な問題・課題へ対処していく有効なスキルとなるものです。

ポイントは、「なぜ?」ではなく、「何か?どういうことか?」と思索を深めてゆくことです。

それと、困難に出合った時は、それが人生における重要度100点満点のうち何点か、という指標で計ることも有効です。低得点なら気にしなくて良いし、高得点なら思索を深めると良いでしょう。

また、思索を深める上で、答えはひとつとは限らないこともお忘れなく。

今回の話の内容が、あなたの日々の支えになれば幸いに思います。DaiGoさんもそれを望んでいることでしょう。

以前にもお話ししたように、心話とは自己の内仏と共に成長する道とも言えると思います。

道に限りなし、しかし、それが人生の醍醐味とも言えましょうか。

スポンサーリンク