今回のお話は、働き方、生き方につながるであろう内容です。

これまでこの風の人において、人は何のために生きるのか、何のために働くのか、という視点に立ったお話しもしてきました。

人は、何のために生きるのか、何のために働くのか。

時々、識者の本を読んでいると、人生に意味はない、と説かれる方もいます。「花や虫を見てごらん、ただ生きているんだよ」、と。

確かに道理ではありますが、人は言葉を使ったり笑ったり、物を開発創作したりする点で、花や虫とは違うと言えます。同じ生き物ではあるのですが、少し特殊であると言えます。

では、人は何のために…となるのですが、それは自身が死す時を想像してみると良いでしょう。

私も考えてみるに、ふと脳裏をよぎったのは、「この社会に何を為したか」、ということでした。

地位や名誉、財産などは冥土には持っていけません。名欲利欲を離れることは仏法の教えでもあります。

また、何を為したかという点で、世に名を残すような人は、社会に対して良くも悪くも何らかの功罪を為していると言えます。

また、人は社会性の生き物故に、基本的にひとりでは生きていけません。

総じるに、人は社会性の生き物であることで、個は社会を支え、社会は個に恩恵をもたらす関係にある。世に名を残すような人は(私は残したいとは思いませんが)、社会に対して何らかのインパクトを与えている。

社会のために何かを為すと言っても、大それたことでなくてもよく、身近な人に幸せをもたらしたり、身近なお店で応援と感謝の気持ちを持ってお金を支払うなど、そうした身近なことでも十分だと思います。そして、ムダ遣いしない範囲でお店などでお金を遣えば、社会が潤います。

以前、この風の人の中で、働く際は世のため人のため、自分のために、とお話ししましたが、私の中で少し考え方が変わり、もっとシンプルに「社会のために」、と帰結しました。

社会のために働き、生きることは、結局は自分のためになる。

情けは人のためならず、自分のためになる、とどこか似ていますね。

仏法においては、利他の精神が尊ばれます。それを端的に表すのも、「社会のために」ということではと感じます。

もし各人、各企業が「社会のために」と行動すれば、世の中はきっと良い方に変わる。そう確信しています。

さぁ、また明日から頑張りましょう☆

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