10話目「放下著」の中でお伝えしましたように、
それは、その人の心を表すものであり、また、
また、14話目「お金を払ってでもする価値のあること」
そして、それらは人が生きる上での核心をついた言葉であろう、
と、少し今までの内容を振り返った上で、
お釈迦様のお弟子さんの1人に、
もの覚えが悪く、
そのお弟子さんは、
しかし、お釈迦様は「自分を愚かだと言う者は、愚かではない。
そして、そのお弟子さんに、お釈迦様は「掃除」
何十年も掃除を続け、そのお弟子さんは、
お寺では、掃除を修行の基本としています
私が長崎の僧堂に居た頃、役寮(やくりょう:幹部)の方に、
「お寺では、掃除を修行として日々務めていますが、
「それは人のためだよ。つまり、
また、仏教語に
「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進む」
とあります
お寺では、例えテーブルが綺麗でも、布巾で拭き、
つまり、「百尺~」とは、例え悟りを開いたとしても、
掃除をすることは、自分のためでもあるが、人のためでもある
ただ、自分よりも先ず人のことを考える「利他」
つまりは、
そして、掃除は自分を高める行いでもあり、
そして、自分の身の周りの環境は、その人自身を表します。
掃除とは殊に奥が深いものだと考えさせられます
私自身としては、「掃除が趣味」
そして、「掃除が趣味と言える人」は、「人間の鑑(かがみ)」
あなたが掃除を行う時、
そして、掃除とは、
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