禅宗寺院においては『今』を観ることの大事さを説かれます。食事の時は食事をのみ、掃除の時は掃除のみ、そのことだけを考える
ただ、私はそこに一歩付け加えて、『今』に幸せを見出だすことの大事さを思います
ここで、『今』を観ることに私なりに捕捉をさせていただきます
仕事の現場や人生においては状況は刻々と変化していきます
ただ目の前のことだけに集中し、行き当たりばったりではどん詰まりになることを私は危惧しています
前にも述べたように先見の明を持つことが大切であり、つまりは『今』を観つつも『先』も併せて観ることが大事なのだろうと思います
話を戻します
『今』に幸せを見出だすとは、今自分がおかれている状況を省みること
ないものよりも、あるもの、また、できないことよりも、できることに視点を移す
例えば、食事を摂れた、帰れる家がある、眠れる布団がある、働ける職場がある、さらには、目が見える、手足を動かせる、呼吸ができる、大切な人が生きている、など
他にも沢山挙げれることでしょう
これらは言い換えれば、『当たり前の中の幸せ』とも言えそうです
そして、その幸せ、感動を感じとることの大事さ
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私達日本人は本当に恵まれた民族だと思います
そして、その恵まれた、快適すぎる環境が逆に日本人の弱味でもあると言われるぐらいです
また、生きていれば、嫌な出来事もあるだろうと思います
それが小事(しょうじ)か大事(だいじ)かの判別は「そんな事より」というフレーズで流せるかだと思います
そして、それで流せるような小事であれば、その嫌な出来事に心を囚(とら)われるのではなく、視点を変えて『今』の幸せを見出だし、幸せを感じることの方が有用だと思います
一方、流せないような大事ならば、その嫌な出来事も神様、仏様から与えられた試練と捉えるのも良し、何かひとつでも学ぼうとするも良し、ポジティブ思考で気持ちを切り替えるも良し、方策は様々だと思います
ピンチはチャンスと捉え、苦難、困難を幸せへと変えてゆく
人生は有限です
苦難に惑うよりも、なるべく幸せ、感動を見出だしながら、感じながら、日々を生きてゆく
それがより良き人生へとつながるはずです
あなたの身の回りにも、よく見渡せば幸せは存在するもの
忙しさや嫌な出来事に心を囚われそうな時こそ、道端に咲く小さな花を見過ごさないようにしたいものですね
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