私は時折、今と昔でこの国はどう変わったか、などということを考えます
ひとつ言えることは、昔と比べて、今はテクノロジーなどの発展により、物質的な豊かさを得た一方で、精神的な豊かさを失った、即ち、心が置き去りになっている感があります
また、近年変わったこととして、学校の環境もゆとり教育や体罰の禁止など、私の頃とは大分変わっているようです
また、学校で習う勉強は考える力を養う行為であり、それも大切なことです
そして、学校は友達や同級生、先生など様々な人達と接することで、人間性を磨く場であると考えることもできます
学校が単に勉強だけを習うだけならば、学校は必要ないかもしれません
また、今と昔のこの国で変わったこととして、昔の日本人の(私の中の)イメージでは、通りすがりの道端におられるお地蔵様(正式には地蔵菩薩様)に手を合わせていた姿が思い浮かびます
おそらく、昔は親から「ほら、手を合わせなさい」、などとしつけられていたのでしょう
学校で先生からこのように手を合わせることを教えられていたかは、私は存じませんが、別に宗教心が大事などとお伝えしたいわけではありません
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ただ、お地蔵様に手を合わせる姿に昔の日本人の心の美しさを見れる気がするのは私だけではないでしょう
それ故に、学校で習う勉強も大切ですが、それ以上に大切なものがあるとして、そのひとつの答えが、道端におられるお地蔵様に手を合わせるような心ではないかと私は思います
ふと、手を合わせて、今日も1日見守っていただいていることに感謝する
仏教語で言えば、冥助(みょうじょ:神通力の一種)いただいていると言います
そして、お地蔵様に手を合わせる人を見る時、私はその人の『心の余裕』を見れる気がいたします
自分の歩む道を陰ながら支え、見守り、善行を応援してくれている存在がいる。そう思うだけで人は強くなれる気がいたします
実際には道端でお地蔵様に出会う機会は少ないものです。それでも、道端におられるお地蔵様に手を合わせるような心を持つことで、心も軽く、豊かになれる、私はそんな気がいたします
仏界の仏菩薩様などは目に見えなくとも、今もあなたの側に存在しているのかもしれませんね
道端におられるお地蔵様に手を合わせる時、少なからずあなたの心に平安が訪れているのでしょう
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