普段、神様仏様を感じている方はどれほどいるでしょうか?

また、霊などの存在は、目に見えねども、周りの人々の話を聞いていると確かに存在するように思います。見えないから信じない、というのは早合点のようにも思います。

昔の人々は神様仏様や霊の存在を身近に感じていたようです。例えば疫病などが流行すれば、それは悪霊の仕業だとお札を家々に貼っていたようです。

神様仏様とはどんな存在かと言えば、以前にも話したように、神様は厳正にジャッジを下す裁判官であり、仏様は公平に慈悲を与えたもう存在なのでしょう。

そして、ここからが今回のお話しなのですが、私としては、日常的に神様仏様に報告をすることをおすすめ致します。

その報告には大きく2種類あり、
1.感謝、

2.謝罪、
です。

1.に関しては、日常を送る上で、今ある幸せを感じ取り、その幸せを享受できることへ感謝をする。

その幸せの多くは当たり前の日常の中にあり、また、突き詰めていけば、甚妙不可思議な世界に「今生きている、それだけで幸せ」、なのでしょう。普段は生きていることを自覚する機会は少ないかとは思いますが、九死に一生を得た人の境地を想像することも妙手でありましょう。

2.に関しては、自己を省みて、反省すべき点について謝罪する。また、改善策などを挙げ、より良い道を歩むことを抱負とする。

自己を省みることは、自己を知ることであり、仏教では自身が愚かであると知る人こそが賢者であると説かれます。また、反省すべき点を謝罪することで人間性も磨かれてゆくものです。

そして、あとひとつ、3つ目を挙げるならば、帰宅時などに、神様仏様へ「笑顔にて帰って参りました」と報告ができればその日は花丸でありましょう。そして、その報告が続けれれば、その人は本物の人でありましょう。

科学技術が進展し、スピードや利便性が優先されれば、社会は生きづらくなり、幻想や夢を抱きにくくなり、神仏や霊性を感じる余裕さえも奪われがちになるものです。

そんなせわしい日々の中にあっても、ふと今回の小話を思い出していただければ幸いです。

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