今回は、「流」ということについてお話します。

あなたは、流れという言葉から、何を連想しますか?

よく、スポーツの試合などで流れに乗る、流れが変わる、などと言います。例えば、優勢で押していたのに、ひとつのミスから流れが変わり、劣勢の守り一点張りになった、というように。

流れ、というのは大事な概念で、日常の家事や仕事などの作業においても深く関わってきます。つまり、作業などにおいては、「流れるようにこなす」ということが重要であり、そのためには、
・先を読む「先見性」
・雑念なき「集中力」
・経験に基づく「慣れ」や「智恵」
が深く関わってきます。

例えば、作業を始めようとしたが道具を忘れた、ぼ~っとしていてミスをした、慣れない仕事で手間取ってしまう、これでは流れは悪いと言えます。それを防ぐには、これらの先見性、集中力、慣れや智恵が支えとなるでしょう。

私自身の実感としては、「流れるようにこなす」、と意識するのとしないのとでは、作業のさばけ方が全然違う、と特に仕事をしていて感じます。また、以前は仕事にあたって「焦らず急ぐ」と掲げていましたが、「流れるようにこなす」と意識する方が、精神的にも時間的にも余裕が生まれるようです。

思考については、嫌なことは流す。生きていれば、良いことも悪いことも起こります。ともすれば、嫌なことは避けられない、とも言えます。仕事上でのトラブル、辞職の第一の理由として人間関係が挙げられていますが、この人間関係においては、ひとりで考え込んでも答えはでないでしょうし、流すことがうまいやり方でしょう。そして、嫌なことは流していれば自然と忘れていきます。

ただ、考え込むことが得意な人は、なぜそれを考えるのか(理由)、なんのために考えるのか(目的)、今後どうすれば良いのか(対策)、その対策を実行するにはどうすれば良いのか(実践)をとことん考え込むのもアリでしょう。

ただ、私事のほとんどは些事であるのでしょうし、そうした些事よりももっと大局的な視点(世界、国、地域、社会への視点)を持つことが人生の上手な歩き方なのでしょう。

また、人生は「なんとかなる」、という主観に立ち、「楽観」を持って生きることも上策です。実際、多くの方が言われるように、人生とはなんとかなるものです。

つまり、「流れるように生きる」ということ。

行動は「流れるようにこなす」、
思考は「流れるように生きる」。

禅語に「行雲流水」とあります。雲が行き、水が流れるように生きる。

小事を気にせず、流れる雲のように生きる。


私なりに言葉を言い換えると、
「風の流るるが如く。行動も思考も」
となりましょうか。


この「流(ながれ)」という概念を追究することは、自己を高める修行であり、それは数多の修行者が求める悟り、つまり自由自在の境地への道標になると自負しています。

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