あなたは、「ありがとう言霊修行」をご存知でしょうか?

これは、今は亡き小林正観(こばやしせいかん)さんが提唱していたもので、四六時中「ありがとう」と唱え続けるものです。

小林さんは、以前にこの風の人の中でもお話しした「あいうえお言霊修行」の提唱者でもあります。

「ありがとう言霊修行」について、小林さんによると、数万回唱えると奇跡が起こると言われています。その奇跡とは、滝のように涙が溢れるというものです。唱え続けている間は、心の中でも一切不平不満を思わず、人の悪口も言わない(心の中でも)こと、とされています。

私の場合は、残念ながら涙が溢れるには至りませんでしたが、「ありがとう」という言葉の持つエネルギーを思います。

そもそも、言葉にはエネルギーが存在し、例えば、氷を作る際に「ありがとう」というテープを流していると、綺麗な結晶の氷ができる、逆に「バカヤロウ」というテープを流していると、いびつな結晶になることが実験で明らかになっています。言葉にはエネルギーが存在し、その力を古(いにしえ)の人々は、「言霊」と呼んだのでしょう。

今回は、私なりに少しアレンジした、「ありがたや言霊修行」についてお話ししようと思います。

「ありがたや言霊修行」も、四六時中「ありがたや」と唱えることを旨とします。これは、口に出して言っても、心の中で唱えても良しとみます。

私が「ありがたや言霊修行」をおすすめする理由の第一としては、「ありがたや」と唱えることで、物事への視点が肯定的になることにあります。

それは、恩を感じること(私は感恩と呼びます)の感性が磨かれ、また同時に、感謝をする感性が磨かれることに起因するようです。つまり、感恩と感謝を意識して日々を過ごすことが大切であるということ。そして、そこから一歩進んで報恩の念を抱ければ何も言うことはありません。

また、「ありがたや」と唱え続けていると、自然と顔がほころんで、微笑みとなると感じます。それはつまり、幸せである証とも言えましょう。

また、この風の人でお話ししてきた、良気を養うコツでもあるのでしょう。つまり、姿勢を正して「ありがたや」と唱え続けることで、物事への視点がより肯定的になり、自然と微笑みとなる、と。

姿勢を正すとは、背筋を伸ばすことであり、これは数歩歩いてみながら背筋を伸ばすことでより良く正されるようです。また、ひとつの指標として、立っている状態からすぐに座りたくなったら、普段の姿勢の状態は黄信号と言えるでしょう。また、最近スマホ首が問題視されており、上を向いて頭を左右に揺らして首のコリをとることも大事かと思われます。

つまり、「ありがたや言霊修行」を行う際は、良気をもって行うことが大事であるというのが私の持論です。

そして、感恩と感謝を抱き、報恩を意識して日々を過ごす。

実際には、何か作業をしながらでは「ありがたや」と唱えることを忘れることもあるかと思います。ですので、少しのスキマ時間などに行えれば、それでも充分だと思います。

私達は、この平和な日本に生まれ、時に幸せに慣れてしまって、幸せへの感性が鈍っているのではと感じます。

「ありがたや言霊修行」は幸せへの感性を磨くための一種の生き方のようなものです。

あなたの日々の中の当たり前の幸せが、より輝くことを願います。

スポンサーリンク