古代の中国において、この世とは本質的に善なのか悪なのか、という議論が行われました。
それぞれ、性善説は孟子が、性悪説は荀子が唱えています。
私が察するに、この世とは本質的に善なのではと思います。
それはつまり、この宇宙の姿が私達の目に美しきものとして映るからだと考えます。
また、この地球を宇宙から見た姿も美しきものとして映ります。
宇宙や地球が美しきものであるならば、その中で生きる命も美しきものと言えるのではないでしょうか。
また、宇宙や地球とは美しくあると同時に、神秘的なものです。ならば、命も美しく神秘的なものなのでしょう。
そして、この世とは、まるで何者かが作ったとしか思えないという学説もあります。
この世を作った何者かが存在するのかしないのか、また、その何者かが存在するとして、その者が善なのか悪なのか、それにより性善説か性悪説かが判別できるのではとも思います。
スポンサーリンク
このような点はこの先、遠い未来に宇宙の謎が解明されるにつれて判明してくるのでしょう。
私の見解では、その創造主は、ドラマが好きだったのではと思います。
私達命ある者にとって、人生とは時に嬉しいこともあれば悲しいこともあるものです。
そして、そうした出来事も、振り返ってみれば、「全てはドラマだった」と言えるものなのでしょう。
嬉しいこともドラマであるし、悲しいこともドラマの1ページである、と。
そして、悲しいこともドラマだったと思えた時、それは自身が成長した証とも言えるのでしょう。
また、悲しいこと、苦しいことがあってこそドラマだとも思います。
そして、この世の創造主は、ドラマが好きな存在だった、とするのが私の私見です。
性善説と性悪説、どちらが正しいのか、また、どちらも正しいのかも知れません。
しかし、私としては、この世とは善である、そう思っていたいのです。
スポンサーリンク
コメントは受け付けていません。