忙しい日々を送っているであろう、私達現代人には、ふっと間(ま)を置く時間も肝要なのではと感じます。

何かしていないと時間がもったいないという気持ちもよく分かります。

忙しい日々に思い出していただきたい禅語に、「明鏡止水」があります。

これは、流れのない泥水の泥が沈殿して、やがて水が澄み、美しき鏡となる様を表したものです。

これはつまり、静寂を感じることで、心が澄む、ということ。

少し言い換えれば、耳を澄まし、静寂を感じることで、心が澄む。そして、心が平穏で安住している者には、世の道理も見えやすくなる。

これは、32話目「動中の禅~よく聴く耳は、よく利く目となる~」と当てはまる部分がありましょう。

また、仏教に次のような偈文があります。

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七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)と題され、釈尊より過去に解脱して仏となった六人と、釈尊を合わせての七人の仏の共通の教えを簡潔に表したものです。

それは、

諸悪莫作(しょあくまくさ)
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)

と表され、その意は、もろもろの悪をなさず、もろもろの善を行い、自らその心を浄くする、これが諸仏の教えである、というものです。

この中でも特に自浄其意が大切であり、それは、徳目(とくもく)を実践することで為されるものです。

その徳目のひとつに、今回の話の明鏡止水も当てはまることでしょう。

お寺の供養など、お寺にお参りすること、また、坐禅なども含めて、徳行のご利益(ごりやく)というものは、中々目に見える形でははかりづらいものです。

実益を求める人には、理解されがたいものかも知れません。

しかし、ふっと間をおける人の心には余裕があり、結果として心が豊かになってゆく。それが幸せの形でもあるのでしょう。

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