今回は、禅宗の教えの根幹となる坐禅についてお話し致します。

そもそも、禅宗とは、お釈迦様が坐禅の末に悟りをお開きになった、ということから派生したものです。

最近では、セルフ・メンタルコンディショニングの一環として、メディテーション(瞑想)が世界で注目されてきています。現代科学の先端を走るアップルのスティーブ・ジョブズが、熱心に瞑想、坐禅に取り組んでいたことも有名な話ですね。

さて、坐禅についてですが、先ず、坐禅の仕方(作法)について少しお話し致します。

1.坐所を調(ととの)える。坐蒲(ざふ)が望ましいですが、なければ座蒲団を半分に折って尻の下に敷きます。

2.足を組む。足のかかとを反対側の足の太ももに置く。両足(結跏趺坐(けっかふざ))でも片足(半跏趺坐(はんかふざ))でも良いし、あぐらでも椅子に普通に座っても構いません。

3.身相を調える。上体を左右に揺らし、徐々に揺れを小さくして、体の中心を探して止める(左右揺身(さゆうようしん))。

4.手を組む。両の親指を合わせ、右手で左手を包むように重ねる(法界定印(ほっかいじょういん))。

5.呼気を調える。鼻から息を吸い、口から吐く(欠気一息(かんきいっそく))。二度ほど行う。坐中は鼻で呼吸する。

6.坐に入る。目は妄想に入りにくくするために、うっすら開く。

以上が、道元禅師様が教示なされた坐禅の作法(あぐらでも椅子でも良いというのは私なりの配慮)です。

少し私なりの解釈を入れると、
・坐相は、名僧の坐相をイメージして、名僧になりきる。これにより型を調え、維持します。口は真一文字に結びます。

・心の置き場ですが、瞑想の観点から見れば、「呼吸をする自分自身」を意識するのが常道のようです。雑念が浮かんでも流します。

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以上が、坐仕方です。あと少し付け足すなら、シーンとした静寂に慣れないうちは、落ち着くヒーリングミュージックや自然の音を流しても、それで坐に集中しやすくなるのならば良いのではと思います。坐す時間は、生活に支障がでない程度に、5分でも10分でも良いと思います。

一見、坐禅して何になるのか?、とお思いの方も多いのではと思います。目に見える実益を求める人には理解できないでしょう。

坐禅の功徳とは、目に見えないものです。ただ、チベット仏教などの、坐禅をする僧侶の幸福度を調べたところ、高い数値が表れたという研究報告もあります。即ち、日々坐禅に努めることで、人生における幸福度が高まり、また、心が穏やかになる傾向が見られる、ということ。

ここで、幸福学という研究について少しお話しすると、物質的な幸せ(つまり、目に見える実益。金、モノ、地位など)を求める人は、幸福度が低いそうです。逆に、物質的な幸せを求めない人、お金などに縛られない人は、例え貧しくとも、幸福度が高い傾向が見られるそうです。

物質的な幸せは、最初だけで、あとは慣れてしまい、長続きせず、さらに、もっと物質的な幸せを求めるが故にいつまでも充足することがない、と研究によって明らかになってきています。

最新の研究の内容ではありますが、これらは既に仏教においてお釈迦様が説かれた少欲知足、名欲利欲を離れること、などという内容でもあります。

禅の意訳は、「静寂」とされます。木々のざわめき、風の揺れ、川のせせらぎ、鳥のさえずり、かすかな雨音…。普段見過ごしがちなそれらは、日本人が大切にしてきた美の精神、「わびさびの精神」に通ずるものがありましょう。

坐禅をする功徳は、目に見えません。しかし、あえて静寂の中に身を置き続けることでしか見えない境地があります。

そこから先は、あなた自身の目で見てほしいと思います。

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