以前、夜回り先生こと、水谷修先生の著作を読んでいると、次のようなフレーズがありました。

「自分のことよりも、他(ひと)のことを想っている方が楽である」、と。

その意味が、私自身、この頃少し分かってきたのでお話ししたいと思います。

世には、明日の行方も分からないような、社会の底辺で生きている人達がいることも事実です。

また、家庭内暴力や、イジメ、病苦など、様々な種類の苦しみにある人達がいます。

時に思うのは、想定し得る最悪の状況にある人が、現実に数多(あまた)存在しているのだろう、ということ。

そして、そのような深い闇に置かれている人達を想う時、私の日常など取るに足りないものだとも感じます。

そして、私自身も中の下ほどの生活だろうと自覚してはいますが、この私自身も、突然の災害や病気、怪我などにより、いつ人生が転落してもおかしくないという事実。

そして、世の有り様を憂(うれ)えていた維新の志士を思い起こします。

彼等は、「憂国の士」と呼ばれていました。

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底辺で生きる民を想うことが、彼等の原点でした。

尚、他を想うことは、利他の精神でもあり、それは自分のためにもなります。

他を愛することは、自己犠牲としばしば捉えられがちですが、相手の幸せを自分の幸せと感じるところに視点を置くべきでしょう

また、他を想う時は、その対象範囲(配慮範囲と呼ばれます)が広いほど、心も豊かになる、と言われます。

人々が幸せで楽しい人生を送るには、博愛の精神をもつことがカギになるのでしょう。

憂国の士として、愛に生きる。それは、世のため人のためとなり、巡り巡って自身のためになる。

自分のことよりも、他のことを想う、というスタイルは、世界がより平和であるための架け橋となるはずです。

昭和は人情の時代、平成は便利さの時代と評されます。

人との垣根が高くなったと感じるこの頃だからこそ、愛が重要となる。私自身、努めて心に留めておきたいと思います。

あなたにおかれましても、日々の暮らしの中で、苦しみの境地にある人を想って生きることは、結局はあなた自身のためになるものです。

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