お釈迦様が入滅するにあたり、臨終の際に弟子達に説いた最後の教えを示した、仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)というお経があります。その中で、八大人覚の教えがあります。

それは、
一、少欲(しょうよく)
二、知足(ちそく)
三、楽寂静(ぎょうじゃくじょう)
四、勤精進(ごんしょうじん)
五、不忘念(ふもうねん)
六、修禅定(しゅぜんじょう)
七、修智慧(しゅちえ)
八、不戯論(ふけろん)
の八つからなり、今回は、悟り、幸せへと至るための、修行者が心得ておくべき八大人覚の教えについてお伝えしようと思います。

一、少欲
欲を少なくすること。人は、欲が多いほど苦しみもまた多くなり、また、多くの利益を求める心は道を外れるもの。少欲の人は、心に余裕があり、不満に思うこともありません。故に、心には静けさがあります。

二、知足
足るを知ること。足るを知らない者は、宮殿のベッドでも満足できないが、足るを知る者は、粗末な寝床で満足できる。足る知る者は、物は豊かでないが、心は豊かで安楽です。足るを知らない者は、足るを知る者から哀れみの目で見られます。

三、楽寂静
静寂な環境に独り身を置くことを楽(ぎょう)(ねがう)こと。大勢の人の中にあっては、苦しみも多いものです。例えばそれは、年老いた像が泥沼に足をとられ、溺れて自ら脱することができないようなものです。(私、著者の私論では、俗世間で生きる人は、「心は彼(か)の静寂の地に置く」という考えで良いかと思います。)。

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四、勤精進
心を込めて進む努力を続けること。例えばそれは、わずかな水が絶えず流れて、やがて石に穴をあけるようなものです。また、火おこしの木の動きを止めてしまえば、火を得ることは難しいものです。

五、不忘念
正しい心の方向を忘れないこと。仏の教えを心に抱き忘れずに生きること。心の方向を想う心が強ければ、欲望という賊の中にいても、欲望の危害は受けないでしょう。例えばそれは、鎧をまとうようなものです。

六、修禅定
心を落ち着けること。心が安住している者は、心が散乱することもなく、物事の道理もよく見えるものです。

七、修智慧
聞思修(もんししゅ)の智慧の光。教えを聞いて得る智慧、道理を思念して得る智慧、教えを実践して得る智慧を、真実の智慧と名付く。例えばそれは、暗闇を照らす大灯明であり、苦しみ多き海を渡るしっかりとした船でもあります。

八、不戯論
凡夫(ぼんぷ)の誤った思慮分別の論(考え)から離れること。安楽の寂静の境地に至るには、戯論の患(とが)を滅するべきです。

お釈迦様の弟子達はみな、この八大人覚を習学しました。

仏道修行者が心得ておくべき基本であり、また、大本(おおもと)を成す地盤とも言えましょう。

仏法は、古えの教えでありますが、充分現代にも通じます。

宗教とは、人々が幸せに生きるための教えであります。

その意図と、その意味をよくよく見直したいものです。

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