感恩とは、私なりの造語であり、読んで字の如く、恩を感じる、という意です。

あなたは、恩、という言葉から、どういうこと、または対象を想像しますか?

先ず、この世に命を授けていただいたあなたのご両親、また、その家系のご先祖様が思い浮かぶのではないでしょうか?

また、曹洞宗においては、お釈迦様は大恩教主本師(だいおんきょうしゅほんし)とお慕い致します。生きる道標(みちしるべ)を与えて下さった恩に対し、そうお呼びするのでしょう。

他にも、人としての対象を挙げるならば、それは様々な人が思い浮かぶのではないでしょうか。

また、身の周りにある物は、それを作った人がいる、という事実があります。そして、その「物」は「意図」があって作られたのであり、そこには作り手の「愛」が込められているはずです。それはつまり、こうすれば、これを作れば人々の生活がより良くなる、快適に便利になるはずだ、という「愛」が。そういったことに着眼する目も肝要かと思われます。

また、私は読書が趣味なのですが、本によって学びを得ることが多々あり、そこにも著者からの「愛」を感じます。学びを与えてくれる愛への恩、を。

つまり、「愛」と「恩」とは、非常に密接な関係にある概念であり、それらを感じ取る感性が、心を、人生を豊かにするものだと思います。

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昔の人の言葉に、「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻め」とあります。即ち、人に恩をもたらしたことは気にとめず、受けた恩は忘れないことの大事さ。それが徳ある人への道だと思います。

「恩」とは、心が暖まる感性です。

そして、「恩」を感じるとともに、「感謝」の念を大事に持つこと。そして、できれば、「恩返し」をするぐらいの気持ちを持ちたいものです。

「恩」というアンテナを張って日々を過ごせば、また新たな発見、気付きもあることでしょう。

そしてそれが、幸せへの道だと思います。

そして、感恩という言葉の響きについて、「かんおん」とは、なまれば「かんのん」となります。感恩の感性を大事にする人は、やがて「観音菩薩」に近付けるのではないかと思います。言葉遊びではありますが、ひとつの目標としてもよろしいかと。

「恩」という視点から物事を観ることで、あなたの身の周りにもたくさんの「愛」があることに気付けるはずです。

「恩」を感じ取る感性が、あなた幸せをもたらすことを、願います。

尚、余談ですが、漬け物の沢庵(たくあん)を考案したとされる沢庵和尚様の辞世の句は、「夢」の一字でした。私もそれに倣(なら)い、辞世の句を一字で表すならば、「恩」としたいと思っています。まぁ、気の早い話ではありますが(笑)

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