ふと、空を見上げてみると、美しい空が広がっているものです

また、雲ひとつない青空よりも、雲がある青空の方が美しく感じるものです。私は、雲は苦しみの象徴だと感じており、人生も苦しみがある方が美しきストーリーとなる、と感じています

 

また、時にふと見上げた空が、この世の終わりのように美しいことは多々あるもので、人々がそれにも気付かずに通り過ぎていく様を思うと、得も知れぬ気持ちになります

 

私達は、基本的に上方が死角となり易いが故に、私自身も努めて空を見上げるようにしています

 

また、美しいものを美しいと感じれる心も大切なものだと思います

心が苦しい時は、美しい空を見ても、美しいと感じれなくなるものです

逆に、美しい空など、美しいものを見て美しいと感じれるならば、あなたの心はまだ大丈夫と言えるのでしょう

 

また、苦しい出来事の渦中にある時は、その人生を美しきストーリーとは感じにくいものと思います

しかし、殆どの場合、その心の傷は、時が癒してくれるものであり、後になって振り返った時、美しきストーリーだったと感じれたその時は、その苦しみを乗り越えた時とも言えるのでしょう

 

そして、美しいものを見ても美しいと感じれない時は、自身の足元をよく見るように努め、自分がいかに恵まれて幸せの中にいるか、自分には何があるか、等をよく見つめ直すことも大切になってくるのでしょう

 

人は、迷える生き物であり、また、苦しみがあればこそ、その人生は美しきストーリーとなりうるものだと思います

 

そしてそれは、人に限らず、あらゆる命あるものについても言えることなのでしょう

私は、あの世というものの存在を信じています(私にも若干ながら霊感があると日頃よく感じています)

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日々、どうすれば現世が浄土となりうるのか、どうすれば死後に極楽浄土へ往生できるのか、只々参究するも答えは中々出ずにいる日々です

 

が、もし極楽浄土へ往生出来るか、成仏出来るか否かというひとつの指標があるとすれば、それは、自身のストーリーを「美しきストーリー」だった、と受け入れ、認めることではないかと思います

 

そして、空を眺めて、美しいと感じる時、同時に、その空に浄土を感じることが多々あります

 

浄土は、目に見える形ですぐ近くにあった、と

 

そして、空に浄土を観る時、現世が浄土へと近付いてゆく実感があります

しかし、私もまだ道半ばであり、まだまだ参究の道は続き、それは果てしなきもの、と少し途方にも暮れています

 

ただ、どうすれば現世が浄土となり、どうすれば極楽浄土へ往生できるのか、その人生のテーマを明らめることを、諦めずに生きてゆく覚悟であり、そういう日々も楽しいものだと実感しています

 

そして、空を望むことで、様々な思いが交錯します

空とは、別名、仏教の大事なエッセンスである空(くう)でもあり、大切な教えがそこにあるものだとも感じています

 

そして、遠くを見据える目は、その人の視野を広げてくれるもので、また、他にも何か大切なものをもたらしてくれるものだとも思います

 

そして、空に命の美しきストーリーを観る時、心は平安になってゆくのを感じています

 

あなたにはあなたの、私にも私のストーリーがあります

人ひとりひとりに心があり、そのストーリーも人それぞれです

 

そして、苦しい時ほど、後になって振り返れば、それは自身のためになる出来事であり、それは「美しきストーリー」、「感動のドラマ」となることを、心に留めておいてほしいのです

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