最近、ふとよく思うことは、何事もない、何気ない日々こそが、何よりの宝なのであろう、ということ

 

最近、私自身、よくトラブルが起きていて感じたことです

 

そして、何気ない日々を過ごせることが本当に「ありがたい」と感じますそして、今の自身の環境を考えた時、自分にあるものなどを考えた時、ささやかな暮らしでもありながら、恵まれていると感じます

 

また、トラブルもなく日々を過ごせることを願い、また、トラブルなきように努め過ごす日々です

そして、現在のこの国の泰平の世のありがたさも感じます

勿論、この世界には、明日の行方さえも分からない人達がいることも事実です

 

ですので、私としては、食事を頂く時も(他を殺して生きることの重さも感じながら)、「ありがたく」頂いています

また、帰れる家があること、働ける職場があること、趣味を嗜むこと、大切な人が生きていること、健康でいられることなども、少し視点を変えれば、贅沢なことだとは思うのですが、「ありがたい」こととして享受しています

 

「ありがたい」とは、「有り難い」とも書きます

辞書などによれば、「めったにない、まれなこと」とあります

それは少し言葉を変えれば、「貴重なこと」とも言えるのでしょう

 

また、良薬は口に苦し、という言葉があります

人の諫言(かんげん)忠告、指摘や注意は受け入れがたいことを表したものです

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私が修行僧をしていた頃、ある修行僧が古参僧から、「ここは僧堂だから、…云々(うんぬん)…」と厳しい指摘を受けていました

それは端から見ても、キツい言葉でした

 

しかし、その修行僧は、話を聞いた後

 

ありがとうございます」

と合掌しておじぎをしました
その時、私は、あぁこの人は本物のお坊さんになられるな、と感じました中々マネのできることではない、と
この出来事は、私にとって衝撃でした

 

また、人が不快な行動をする人には、反面教師として捉え、自分はああはなるまいと学び、「反面教師、ありがとうございます」と、心の中で思っていればなんてことはない、と思います

学びを与えてくれたという点で、ニコニコと合掌しておじぎものだと思います

 

人生において、苦しい経験は、自身を成長させてくれるものです
そして、その苦しい経験を、「ありがたい」と受け入れれば、その人は人生の熟練度が高いとも言えましょう

 

そして、何事もない、何気ない日々を、当たり前の日々として過ごしているのならば、それもやはり、かけがえのない宝、ありがたいことなのでしょうし、苦難さえもきっと、ありがたいことなのでしょう

 

「ありがたい」と言える対象は、身の周りにあふれているのかも知れません
自身の日々を、もう一度よく見つめ直したいものです

 

そして、「ありがたい」と思い、感謝しながら日々を過ごす時、それは現世を歩みながら浄土へと至る、架け橋のひとつとなるのでしょう

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