仏とは、どういう存在かと考えた時、私は差別せずに慈愛を与えたもう者だと思います

ただ、どちらかと言うと、やはり強者よりは弱者を想う存在だと思います
一方、神様とは裁判官のような気質があり、この世の道理である因果応報を下す存在だと思います

即ち、悪因には悪果の報いを、善因には善果の報酬を。悪因にしても善因にしても、すぐにその果が与えられないとしても、長い人生のスパン(期間)で見れば、徐々にでもその果が表れてくるものです

そして、その因果応報の道理をズバッと説いたものが仏教でもあります

 

さて、仏とは弱者を想う者、と書きましたが、その弱者とは何か?
それは、衆生(しゅじょう)でしょう

衆生とは、仏教語であり、生きとし生けるもの達を指します

私達人類も、衆生ではありますが、仏教では、我等、と衆生とは一応の区別をしており、衆生を救う存在が我等(人類)である、と説かれているようです
勿論、仏様は私達人類にも衆生にも、差別なく慈愛の目で見てくれている存在でありましょう
そして、衆生という存在を今一度考えた時、彼等がいかに過酷な環境にいるかと考えさせられます
彼等は毎日がサバイバル、生存競争の日々であり、夜には夜空の下でいつ敵に襲われるやも知れぬ恐怖にさらされながら眠りにつきます

 

私の職場にはよくカラスが遊びにやってくるのですが、そのカラス達も、夜はどのようにして眠りについているのか、いささか心配であります
宮沢賢治さんの「雨にも負けず、風にも負けず」という詩(うた)がありますが、彼等は「雨にも打たれ、風にも打たれ」、という日々です
そして、その過酷な環境の中で生きる衆生の多くを、私達人間は食しています

それはよく考えると残酷なことです
生きる為には仕方ない、とは言いますが、私としてはタンパク質と脂質という栄養素は鶏の卵で充分ではないか、と思います(こう言ってしまうと、多くの飲食店の方には迷惑なことだろうとは思いますが)
尚、曹洞宗の両本山のひとつ、永平寺においては、肉や魚などの肉類を摂(と)らない菜食、いわゆる精進料理であるのですが、その生活の中で修行僧はそれまで自身が持っていた花粉症など種々のアレルギーが治ったという報告があります

その詳しいメカニズムはよく分かってないのですが、肉食よりも菜食の方が健康にも良いようです
また、牛の屠殺(とさつ)の現場は、とても残酷なもので、詳細は省きますが、その現場を見ることなく、スーパーにその肉が並んでいます

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ある知人の僧侶の方は、屠殺の現場を子供達に見せた方が良いと言っていましたが、私もそれに同感です
ただ、お釈迦様は、そういった残酷な事実から、衆生を想うが故に肉食を禁じたのでしょう
また、衆生の多くは、只々日々を懸命に生ききることだけで精一杯です

蟻なども生きる意味など考える余裕もなく、何の為に生まれたかも分からず、生まれてきた以上、日々をひたすらに生きている
そういう弱者である衆生を、私達は殺して食しているのです
そして、その衆生の懸命に生きる姿などには、自然から離れて生きる私達人類も学ぶところが多々あると思います
また、衆生を食すとしても、その、他を

 

 

殺して生きる

 

 

という行為の重たさをよく知るべきです
自然界の理の中では弱肉強食は正に自然なことなのでしょう

しかし、霊長類としてこの地球の頂点に立つ、範を示すべき私達人類が、範を犯している感は否めません
そして、衆生の日々を想う時、その衆生に対して「可哀想に」という念が浮かびます

地球とは、青く美しい惑星です

しかし、今の私には、それが残酷な美しさに見えます
私達人類ですら、何の為にこの世に生まれ、また、この宇宙の創造主であろう存在がいたとして、何の為にこの宇宙を作ったのか分からずにいます(ただ、考えることは大事です)
お釈迦様が人生は苦であると仰いました

それは少し言い方を変えれば、自然とは残酷である、と言えるのではと思います
私達人類の使命とは何なのか?また、私達人類だけが幸せなら良いのか?

私達人類の使命、それは、仏教のお経を唱えた後に唱える普回向(ふえこう)という偈文(げもん)、「願わくは、この功徳(くどく)を以(もっ)て普(あまね)く一切に及ぼし、我等と衆生と皆(みな)共(とも)に仏道を成(じょう)ぜんことを」という部分に表れていると思います
そして、私達人類だけが幸せで良いはずはありません

今も昔も相変わらず、イジメはあっているようです

その小さな個人のイジメの心理が国レベルの戦争へと結び付くのであろう、という感は否めません
しかし、弱者を想う心を持つ時、自然と人は強くなる、いや、それが本当の人としての強さなのだと言えるのでしょう

そして、その弱者を想うということは、仏を目指したる者が努め行うべきことなのでしょう
そして、私達は今一度、この地球のあるべき姿を想い、また、人類と衆生が共に幸せに生きる、誠の美しい地球となるにはどうすれば良いか、よく考えるべきなのでしょう

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