一句詠ませていただきます。
背を伸ばし
微笑みながら
空を見る
心が変わる
世界が変わる
これはつまり、仏教語でいう「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」を詠んだものです。
私達が見て感じ捉える世界なるものは、自身の捉え方次第である、ということ。
同時に、その捉え方が私達によるならば、私達自身にもその負うところの責任があるし、ひとりの世界の捉え方は、他の人にも波及し、影響を与える。
その捉え方については、私達の身(しん)の型それ自体が自身の思考に影響を及ぼすなら、まず身の型を調えましょう、という意をこの句に込めました。
世界の見え方は人によって千差万別であり、個々人により、その自身のフィルターを通して見える世界の見え方は違うもの。
また、実際、身の型を調えて世界を見れば、世界も調って見えてくるものです。
ならば、よく世界が見えるように、調って世界が見えるように、身の型を調えることが自身のや周りの人達のためにもなります。
そして、神仏の加護を感じながら道を歩めれば、それは俗世に生きる清廉な行者(ぎょうじゃ)と言えましょう。
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