脚下照顧、禅道において、足元をよく見なさい、という意です。
以前、私は出家を志した際、「幸せになってやる」と意気込んでおりました。それを師僧に話した折、「あなたは、幸せではないのですか?」と諭(さと)されました。
その内容は、「あなたは、あなたが既に幸せの中にいることに気付くべきである」というものでした。
そもそも、幸せとは何なのか?、そこを考えさせられました。
人は、幸せを求めます。私としては、「感動という感情の中に幸せがある」のではと思います。感動とは、心が動くことであり、幸せとは感動という表現のうちのひとつではないか、と。
そして、感動(や幸せ)は、日常に内在していることに気付くことが肝要であり、また、私達は日々の生活の中でそれらに慣れてしまい、感動という感情も、日常の中に埋没してしまいがちになる。
日々に動けて食べれて眠れる。それも大きな感動なのでしょう。
また、日常において感動を探してみると、そこかしこに溢れているものなのでしょう。
そして、この世に生きること自体がドラマであり、感動の中にいる、とも言えるのではないでしょうか。
感動とは、遠くにあるものではない。
悟りとは、遠くにあるものではない。
既に日常に内在している。
この風の人の中で、以前にもお話ししたような内容ですが、大事なことなので改めてお話しさせていただきました。
脚下照顧という短い文言に禅の流儀が込められており、今回の話があなたの日々の一助になれば幸いです。
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