風の人も、50話目となりました。50話目という節目にあたり、今一度、1話目のテーマを改めて見つめ直したいと思います。
尚、この風の人は、108話目を以て終わりにしようと考えていますので、もうしばらくお付き合いいただければ幸いです。
私は何のために生まれたのか?何のために働くのか?…それは、人類の永遠のテーマであり、また、もしかすると答えなどないのかもしれません。が、あえてそこを考察してみたいと思います。
先ず、私は何のために生まれたのか?…それは、幸せで楽しい人生を送るため。
私は何のために働くのか?…それは、自分を錬磨するため。
と、私は考えます。
幸せで楽しい人生を送ることにもコツがあるようで、
・幸せであるには、幸せを遠くに求めるのではなく、既に自身が持っている幸せに「気付く」こと
・楽しくあるには、先ずは形から入る、即ち、「自ら笑む」こと。心はそれに伴うようについてきます。
これらは、これまで風の人の中でもお伝えしてきた内容です。
幸せに関しては、禅の話で、春(幸せ、悟り)を求めて遠くまで出掛けたが見付からず、しかし、自宅に帰ってきてみると、庭に美しい花が咲いていた、という逸話で語られます(「春は枝頭(しとう)にあって既に十分」と言います)。つまり、「気付く」ことです。
楽しくの自ら笑むことに関しては、笑顔こそが、人が輝く時であると考えるからです。また、太陽が自ら水素を消費して化学反応(核融合)を起こして輝くように、自己もエネルギーを多少消費することは覚悟した方が良いでしょう(でも、それ以上に得るものがあるはずです)。
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ただ、笑みの度合いとしては、よく仏像の仏様などに見られる笑み程度が自然だと思われます。満面の笑みでは逆に不自然ではとも感じます。
これらは、幸せで楽しく生きるコツではありますが、それは土台のようなものであり、そこから先には、日常において「ありがたや」と感じる感性を磨いたり、心にユーモアをもったり、利他の精神で生きることなど、応用が伴ってきます。それらは別の機会に、この風の人においてお話しできればと思います。
また、働くことは、自分を錬磨することなのでしょう。失敗を通して成功へと至ったり、仕事という束縛を通して自由が際立つことを感じたり、人間関係で鍛えられたり、もう諸々ですね。仕事に限らず、趣味や技芸を磨くことにより、学びや成長を通して自分を錬磨する、それが自分を高次元へと導くのでしょう。
最後に、私の拙い文章を読んでいただくのはありがたいのですが、どうかたくさんの様々なジャンルの本を読んでほしい。
読書とは、世界を知る旅であり、あくなき探求であります。
また、読書とは、心を耕し、心を豊かにする行為であります。
それは、読書という、様々な人の考え方や知見、物語にふれることがもたらすものなのでしょう。
お金や名誉などとは違う豊かさです。
そして、その心の豊かさは、生きる力になります。
あなたが、幸せで楽しく、豊かな人生を送られることを願います。
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