「陰徳を積む」

私がお寺で修行していた頃、役寮(やくりょう:幹部)の方から「陰徳を積む」ことの大切さを立ち話の中でされました

私の記憶が曖昧で、あまり内容を覚えていないのですが、陰徳を積むことの大切さ、その一言はしっかりと覚えています

陰徳を積む、とはどういうことか?

私なりの解釈では、日々人知れず鍛練を重ねることであるように思えます

筋肉トレーニングをして体力を磨く、読書、勉強をして知力を磨く、坐禅や0の行、4S(整理整頓、清掃、清潔)をして精神力を磨く

即ち、体力、知力、精神力を磨く

但し、ここに挙げたのは一例であり、鍛える対象は様々で、鍛える方法も人によって様々だと思います

ただ、ダルマさんの名で親しまれている 、インドから中国へ禅を伝えた、いわゆる禅宗の第一祖、菩提達磨(ぼだいだるま)大師の言葉、「無功徳」を思い出します

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達磨大師は、時の中国の皇帝に呼び出され、その皇帝に「自分は沢山の仏塔や寺院を建てた、ご利益があるか?」と言われて、達磨大師は「無功徳」と返しました

これは自分の功績等を人に言いふらした時、その功徳は無になってしまうという戒めの話です

私自身も自戒の言葉として受け止めています

そして、陰徳を積む、日々人知れず鍛練を重ねることの大切さを改めて思います
そこに、その人の人としての美しさも見える気がするのは私だけではないでしょう

昔の人の言葉に「陰徳あれば必ず陽報(ようほう)あり」とあります
陰徳を積んでいれば、必ず良いことがある、という意です

陰徳を積む者は、雰囲気等として自ずとその功徳が表れてくる、という意でしょう

私は、本当のヒトになりたいと思うのですが、この陰徳を積むことこそが、人が人たる道ではないかと思います

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