この風の人も100話目を迎え、この節目に今一度、このテーマの内容を考えてみます。なお、私自身の考えも変わったりするもので、時に一転二転しますが、それもある意味成長ととらえてもらえればと思います。

ひとつ最初にことわっておくと、おそらく正解はないのでしょう。それは各人の価値観に基づくものでありましょうから。そこを踏まえてもらった上での私の見解としてお話しします。

先ず、何のためにに働くのか、それは「社会のために」働くとも言えます。

一人ひとりが働くことで社会は機能している。また、社会はその恩恵を各人に与える。持ちつ持たれつの関係である。逆に言うと、社会を機能させ、社会を向上、進化改善させるべく、その手段として働くことが挙げられる。

個人のスケールで見れば、生活のため、お金を稼ぐため、家族のため、はたまた、自分を磨くためでもありましょう。一方、広いスケールでみれば、やはり、社会のため、となる事実があります。

ともすれば、私達は社会を機能させる歯車のような存在かもしれませんが、その歯車が欠けては社会は成り立たないことを忘れずにいたいものです。

次に、何のために生まれたのか、生きるのか、の前にひとつクッションではさんでおきたいのが、私達人類の使命について。

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おそらく、私達人類の使命とは、「地上の楽園」をつくり上げることなのでしょう。そこに至るまでの紆余曲折(戦争も然り)の過程として現在の私達が存在する。その未来にはかなり高い確率で平和な世が実現しているはずです。社会は進化する、その過程に私達が存在する。他の動植物にも居心地がよいように環境問題やエネルギー問題も改善されゆくことでしょう。

そして、何のために生まれたのか、について。これは永遠のテーマでしょう。ひとつヒントになるのは、私達日本人は、貧しくとも幸福感のある社会、「貧幸」な社会に立ち戻るべきではないか、ということ。豊かさとは、金銭的な豊かさではなく、心の豊かさこそが本当の豊かさなのでしょう。社会の在り方としてもそうですし、個人的なスタンスとしてもそうありたい。

幸せを感じ、日々を楽しんで暮らす。それが成されれば、それもまた豊かな人生と言えるのではないでしょうか。そして、そのためのヒントになろうスキルもこの風の人において紹介してきましたし、エール(応援)としても紹介してきたつもりです。

日本国憲法にある基本的人権の尊重とは、平たく言えば、各人の幸せになる権利を国が認める、というもの、素晴らしいことです。

抽象的であれ、生きる目的、指針が見つかったら(それぞれに各人らしい答えがあるはずです)、あとはそこに具体的な手段を当てはめてゆくことです。

私自身も、具体的な手段を模索する日々であり、その模索する日々もまた人生の醍醐味なのでしょう。

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