禅語に放下著(ほうげじゃく)とあります

昔、とある出家志願者が入門を乞うたところ、そのお寺のお坊さんから、いらないものを捨ててきなさいと言われました

 

再び、その志願者が訪れ、お坊さんから「捨ててきましたか?」と聞かれ、「はい、捨ててきました

もう捨てるものはありません」と答えたところ、「放下著」と言われました

 

放下著とは、ことごとく捨てなさい、特に五欲(食欲、睡欲、色欲、名欲、利欲)を捨てなさいという意です

なお、千利休というお坊さんの名は、利欲(お金に対する欲)をなくすという意があるそうです

 

人は何か物やお金を得ることで幸せになれると思っている方が多いと思います

しかし、何かを得ることはその物に束縛されるという面もあります

 

例えば、花を育てていて、毎日水を与え、時間帯によって置き場所を変えなくてはならないとします

花を愛でるのは当の本人には楽しみであるとしても、どこか遠くへ出掛けた場合などにも、花のことが気掛かりでなりません(ただ、何かを大切にする心は尊いことだとは思います)

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仏教では何か物をひとつ所有する度に、その物に束縛される、そして、その束縛は不幸である、と説いています

いわゆる無所有の教えです

 

僧侶の理想は一鉢一衣(いっぱついちえ)のみ、乞食(こつじき)と食事をするための鉢と衣だけを持つこととされています

そして、私欲がなく行いが正しいがゆえに貧しく暮らす、つまり清貧(せいひん)を理想としています

 

また、禅宗が宗旨とする坐禅も、何かを得るためではなく、いらないものを削ぎ落とすことが旨であるようです

 

人はお金や名誉をたくさん得ることが幸せであると思われがちですが、仏教の真理に照らし合わせると、それは不幸なのです

 

いくらお金や物を得ても不幸な人はいるし、逆に貧しくても幸せだという人もいます

 

まとめとしては、本当に大切なのは「心」だということ

そして、沢山所有することが幸せとは限らず、どちらかと言うとその実は不幸だということ

 

 

部屋は人を表すと言います

あなたの部屋はいらないものが沢山ないですか?

 

何かを整理整頓したり掃除したり洗ったりすることは、自己の心身を整え、洗うこととなり、つまりは自分を磨くこととなるのでしょう

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