こんな逸話があります

とある仏様が、今から自分がとても凄いことすると仰いました

 

そして、「今から右手を上げます」と言って右手を上げ、「今から左手を上げます」と言って左手を上げました

 

この話は、私達が自分の思い通りに体を動かせることの尊さと同時に幸せさを説いています
また、目が見え、耳が聞こえることの幸せ

本当の幸せは、いつだって私達の目の前に既に存在しているということ

自分にはあれがないこれがない、と遠くに幸せを求めることは悲しいことです

 

禅語に、「春は枝頭(しとう)に在って既に十分」とあります

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とある修行僧が春(幸せ)を求めて遠くへ出掛けて行ったが、春は見つからなかったと自宅へ帰ってくると、木の枝の先に花が開いていた、という話

 

また、他の禅語に「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」とあります

よく足元を見なさいという意味です

 

 

できないことよりも、できることに目を向けることが大切です

ないものよりも、あるものに目を向けること

 

また、当たり前が当たり前でなくなった時を想うと、今、自分がどれだけ幸せであるかを知れるはずです

当たり前の中にこそ、本当の幸せはあるのでしょう

 

そして、あなたが今、既に充分幸せだと感じ、現状に不満がないという境地に立ったとき、それはひとつの悟りの境地であり、それはとても幸せなことと言えるのでしょう

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