タイトルに示したように、今回の論旨は「人の道は修行なれば、苦難に感謝する度量を持ちたい」、ということです。

生きていれば、時に苦難に出逢うことも避けられないものです。そこでどういう対応をするかが、人の道のカギとなりそうです。

これまで、この風の人でお伝えしたように、感動という感性は、生きる上での大きな柱となります。

これまでの私自身の人生を振り返ってみるに、苦難の経験とは、感動と密接な関係にあると感じます。つまり、苦難の経験は感動の経験となりやすい。

また、感動と感謝もまた密接な関係にあり、感動あるところには、感謝できる要素が存在している。

それらを総じるに、苦難の中には、何かひとつでも感謝できる要素が存在しており、その感謝に目を向けることが大事であるということ。そして、その感謝できる要素を見出だせたならば、それはひとつの学び、気付きであり、それはひとつの悟りとなる。

そして、苦難の中に感謝できる要素を見出だせた時、その苦難の経験は感動の経験へと昇華される。

私はそのように感じます。

そして、過去を振り返ってみた時に、感動の経験の多くは、苦難の経験が元になっている、それは多くの人に思い当たる節があるのではないでしょうか。

生きていれば、時に苦難と出逢います。その傷は時がやがて癒してくれるものではありましょうが、その傷をより良く生きるための糧としようとするならば、やはりそこに感謝などの何かしらの価値を見出だすことが大事だと思います。

そして、「苦難とは、良い修行」であり、「良い修行をさせてもらっている」という自覚を持って歩みたいものです。

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