禅宗においては、欲などを「手放す」ことの大事さ、そして、それにより幸せに満たされる、心が豊かになる、と説きます。
私達は日々を通して様々な出来事にであい、経験をするものですが、「残り時間」に視点をおくことの意義を思います。
つまり、過ぎ去ったこと、明日のことは気にせず、「今日の残り時間をどう生きるか」に視点をおく。明日のことは明日考えればよい、とは多くの心理学者の言であり、私もそれに賛同します。また、過去の過ぎ去ったことにおいても、あれこれ考えず、ただそこに学びや成長を見出だせたならばそれでよい、とも考えます。少なくとも、過ぎ去ったことや明日のことを考えてネガティブになるならば、それこそやめておいた方がよい。
問題は、今日を見失わずにいかに生きるか、ということ。過去や未来に囚われて、今日という日を見失わないこと。そして、今日の残り時間において思考を巡らせること。
その今日という日の積み重ねで、人生は積み上がってゆく。その高みから見える境地はいかなるものか。
禅宗では「今ここを生きる」ことを説きます。その意味するところにつながるのでは、とも思います。
冒頭の「手放す」とは、過ぎ去ったことや明日のことへの執着から離れる意義から引用しています。そこから心の余裕も生まれるのでしょう。
一方で、長期的なスパンでの人生の計画、夢、目標などは持ち続けるのが望ましいでしょう。それは「今生の残り時間をどう生きるか」、とも言えます。あえて強調しておくと、私達の人生は有限であることも意識しておきたいものです。
「今日の残り時間」を意識して日々を歩みたいものです。それは「今日を生きる」ということにつながります。
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