今回は、遠くを想う、その効用について。
私達は日々の暮らしを送る中で、どうしても自身に関すること、身の回りのことに意識が向かいがちになろうかと思います。それは危険などを回避しようとする私達の本能によるもので半ばいたしかたないことでもあります。
そんな日々の中において、あえて遠い異国の地や遠い過去、遠い未来に思いを馳せることで、どこか心が平安になることは、多くの人にあてはまることでありましょう。それは心が健全となると言えましょうし、それこそが遠くを想うことの効用なのでしょう。
また、見る対象を例えば「日本」や「世界」とし、それらを遠くから見ることで、物事がよく見えるようにもなります。これは俯瞰とも言えます。
遠くを想うことは、自身のことよりも他者のことを考えている方が楽である、という言説にもつうじる感もあります(もっとも、この場合は菩薩行の類いになりそうですが)。
また、危険回避の本能からネガティブなことに向かいがちな思考を、あえてポジティブなことに向ける(近くではなく遠くに向ける)ことにもつうじる感があります。
遠くを想う、遠くから見る、それは心を近視的にしない術とも言えます。
おそらく、例えば、明治の文明開化の頃の維新の志士たち、市井(しせい)の人達は遠い異国を想い描いていたことでしょう。そこには、一種の憧れも抱いていたことでしょう。
時間と空間を超えた思考は、人ならではとも言えましょう。
そして、遠くを見た上で、自身の立ち位置を見つめ直す作業も肝要なのでしょう。その際は、遠くから自身を見ることも大事です。チャップリンの言、「人生は近くで見ると悲劇であるが、遠くから見ると喜劇である」の意味するところも汲みたいものです。
遠くを想う、遠くから見る、その効用については、あなた自身においても体感していただければと思います。
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