あなたは、いつの頃が純粋で未来に希望を持てていたか。ただひとつ確かなことは、誰にでも未来にワクワクするような時代があったということ。
その感覚を呼び覚ますひとつの方法として、自身が感銘を受けた音楽も挙げられます。ある音楽を聴くと当時を思い出す、というように、音楽と思い出は深い関わりがあると言えます。
または、テレビゲームでも書籍でも、それらを通して「ときめき」を抱いた時期があるはずです。それが、あなたがより輝いていた時とも言えます。
年を経るほどに、ときめきの感性は鈍くなることは、私自身も感じているところではあります。だとしても、ときめきを抱いていた頃の自分が世界をどう見ていたか、そこを思いを致すことの大切さを思います。
昨今のニュースなどを見聞きするに、社会情勢は、悲しくも混沌さを増し、どこか狂っていくようにも見えます。便利に快適になる一方で、何かが置き去りになり、何か大切なものを人々は見失っている。
その何かが何かについては、ひとつの要因ではなく複合的な要素が絡んでいるのでしょう。
この混沌とした世に光を見出だすならば、釈尊が説いた自灯明にあるように、自身をしかと持ち、自らの中に光を見出だすことが挙げられます。
忘れかけていた感性を呼び覚ますには、ときめきを抱いていた頃の自身を思い出すこと。
そして、その当時の自分が今の自分に伝えたいとすることは何か、また、逆に今の自分がその当時の自分に語りかけるならば何とするか。
今一度立ち止まり、よく心の声を聴き、語ること。それが明日への縁(よすが)となります。
虹の足はおそらく、あの頃の自分の元にかかっている。そこに気付けば、現在地からも虹が見える。
私達が忘れてしまった大切なものは、過去にある。
よく内省すること。光はすぐ側にあります。
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