私達は、日々を過ごす上で、どれほど自身に関することを考えているか、また、どれほど他者(ひと)のことを考えているか。

道元禅師が説くには、「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己を忘るるなり。自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」とあります。

要約すると、「仏道修行とは自身を学ぶことであり、その自身を学ぶためには自身を忘れる必要がある。自身を忘れる時、その人は菩薩となる。自身や他者の身と心を笑顔たらしめ、幸せにする存在となる」となりましょうか。

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つまり、「仏道修行とは、自身を忘れる道であり、それが菩薩に近付く道である」、と。

ひとつ意外なことは、自身を学ぶ、知るには自身を忘れる必要がある、ということ。深いですね。

一度自身という垣根を払い、それを越えた上で見える境地がある、とも言えましょうか。

ひとの幸せを願い、想う、それが菩薩の姿なのでしょう。

以前も述べましたが、医師の日野原重明さんは生前、「ひとのことを考えていることが多い人ほど、天国に近付く」との旨を説いています。それは自他共に幸せになる道とも言えます。

ただ、ひとつ言えることは、まず、自身のことを忘れる、それが結局は、ひとのことを想う契機となる、ということなのでしょう。

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